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カールマン (東フランク王) : ウィキペディア日本語版 | カールマン (東フランク王) カールマン2世(ドイツ語:Karlmann II, 830年頃 - 880年11月29日?)は、東フランク王国(カロリング朝)の国王(バイエルン王、在位:876年 - 880年)。のち、兼イタリア王(在位:877年 - 879年)。ルートヴィヒ2世(ドイツ人王)とその王后でシュッセンガウ伯ヴェルフの娘エンマ(古ヴェルフ家)の息子。 872年、従兄の皇帝ロドヴィコ2世(ルートヴィヒ2世)により帝位継承者に定められていたが〔瀬原、p.52〕、875年に皇帝が死去した後、叔父である西フランク王シャルル2世が教皇ヨハネス8世により西ローマ皇帝とされた。876年、父ルートヴィヒ2世の死去を受け、カールマンは弟のルートヴィヒ3世・カール3世とともに父の遺領を分割し、バイエルンを継承した。さらに、877年の西フランク王シャルル2世の死去を受け、東フランクの君主として初めて「イタリア王」の称号も獲得した。879年、カールマンは病を得て身体が不自由になり、ルートヴィヒ3世にバイエルンの王位を、カール3世にイタリア王位を譲り、翌880年死去した。 == 子女 == 861年以前に、ノルトガウの伯エルンストの娘(名前不詳)と結婚したが、子供はいなかった。 リウスヴィントとの間に、庶子で後に東フランク王となるアルヌルフがいる。
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